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今回は「嘆きの歌」を中心に練習しました。
毒リンゴを食べて眠ったままになっている白雪姫の周りで、小人や動物、宮殿の侍女たちが悲痛な声で嘆きます。「どうか目を覚ましてください」。
普通の声では悲しみが伝わりません。胸をつめて、うめくように泣きながら歌わなければいけません。
そこで先生は詩を出して出して、詩の中の泣き声から練習するようにしました。

「なくしもの」 木村信子

どこでなくしたの と きかれたから
なくしたばしょを しんけんにかんがえた
いくらかんがえても わからないから
そういうと
ほんとに ぼんやりなんだから
と しかられた
もういちど よくかんがえてみて
たぶん あのとき
あそこかもしれない と いうと
なぜ そのとき
すぐに きがつかなかったの
と しかられた
ひとりに なってから
さっき いわれたことと おなじことを
いいながら
じぶんで じぶんを せめた
かってもらったばっかりだったんだもの
いちばん くやしいのは
ぼくだもの


この「ぼく」の気持ちは誰しも一度感じたことがあるであろう、とてもわかりやすいイメージです。
子どもたちは粟島リーダーにつづいて「ヒステリックに怒るお母さんの声」と「ぼくの気持ち」を対比させて、すっかりこの詩の世界に入り込みました。
その声で再び「嘆きの歌」を歌ってみると・・・なんということでしょう!!
みごとに悲しみが声に表れていました。
本番でも会場全体を悲しみの渦に巻き込むことができるでしょうか?
この調子ならきっとできるっっ!(いつきのvoice)



両手でおわんを作って「はぁ」と暖めてください。少し暖かく感じますね。これはあたたかい息です。
今度は口をとがらせて「ふー」と手を吹いてください。これが「つめたい息」です。
「はぁ」と「ふー」は息の違いでもあるし、からだの中の動き方が違うのです。
ちなみに「はぁ」で手を冷ますこと、「ふー」で手を温めることは誰にもできません。
大好物を目の前にしてあたたかい息で「うわぁ、おいしそう」と言うと、食べたいという実感が表現され、また食欲がわいてきます。ところがつめたい息で「おいしそうね」というと、実感はありません。
息のあり方と言葉が一致していれば素直な表現といえますし、言葉と息がばらばらでは言葉は形だけということになり「異和感=いわかん」が生じます。
反対に異和感がなく心地いい状態、しっくりくる状態を「親和感=しんわかん」といいます。

子どもミュージカルでは親和感を大事にしています。
子どもたちの表現を本物の表現へと近づけるためにリーダーたちは毎回の練習で
エネルギーを使い、手間と時間をかけて四苦八苦!
本当に頭が下がります。(いつきのvoice)

今回の練習のメインは小人たちがカンテラを持って歌う「おばけなんてこわくない」でした。
暗い森の中、家へと帰る小人たちを照らすカンテラ。
グループに分かれて様々な工夫を凝らし、可愛く、ユカイな踊りを考えていました。
するとそれを見ていた増田先生が一言。
「カンテラの光を主役に考えていますか?」
小道具を持って踊るとき、私たちはそれをひとつの道具に過ぎないと考えてしまい、
持つことでかえって動きが制限されてしまうと思うことさえあります。
NO!!
「持っている小道具がいかに楽しく踊っているかを考えて」というわけです。
小道具のカンテラは、その昔出演者の女の子が100円均一ショップで見つけてきたもので
100円とは思えないクオリティで、柔らかな豆電球が灯ります。
その光が優しくゆれたり、ふわっと現れたり、すっと消えたり・・・カンテラが楽しく踊れるように
工夫して振りを考え直してみると、みるみるうちににぎやかだった息がおだやかに集中していきました。
光を大切に、光が活きるようにしなやかな動きが増えました。
こうして今までになかった角度から、新たな振り付けが次々と生まれています♪

自分を主張することは、生きていく上で大切なことです。
思っていることを他者に伝える表現力は豊かであるに越したことはありません。
でもそれと同時に他と響きあう力も重要です。
相手を活かすことが実は自分を活かすことにつながると、感性として分かっていれば、
生きていくうえで他者と関わることがもっと楽しくなるでしょう!!

そして今回!やーっと台本が配られました!よむぞーよむぞー!!!(いつきのvoice)